琉球いろは歌
琉球伊呂波歌(伊呂波琉歌)は、いろは四十七各音から始まる琉歌で人生訓等を詠んだ、琉球王国時代の歌集です。中には奄美を含む島々の民謡も含まれており、当時知られていた様々な歌から成り立っていることが伺えます。
底本資料としては、出所不詳の『琉球語伊呂波歌』(以下「甲本」)と1881年の写本『具志頭親方蔡温文若伊呂波琉歌』(以下「乙本」)が、琉球大学のデジタルアーカイブで公開されており、[1]他に個人所有の覚書等が知られています。[2]この乙本によると、これらのいろは歌は、17-18世紀の碩学である蔡温(具志頭親方文若)の編著となっています。
一般に「琉球いろは歌」は、蔡温と同時代に生きた程順則(名護親方寵文)の作とされていますが、これを裏付ける確証はなく、おそらく甲本の中表紙に「名護朝」某と記されているのを「名護寵文」のように誤解され、そのまま口伝えか普及本を介して人口に膾炙したのかもしれません。[3]そもそも、この記名は本の所有者か書写人のものと考えられます。
「いろはにほへと…」と辿る上で注意が必要なのは、これらの一連の歌が、和語の読みを基に構成されていることです。例えば「ろ」や「へ」の歌は、沖縄語では[o]と[e]の短母音は使われないため、長母音であるローやへーで始まる語(蝋や南等)から成りそうですが、実際にはそれぞれ櫓(日本語で「ろ」)や下手(「へた」)等、厳密には一致しない音で始まっています。これは、各歌が本来沖縄語で詠まれる一方で、琉歌一般同様原文が古日本語的な歴史的仮名遣いで記されていたため、その頭文字に従ったものです。
このサイトでは概ね以下の原則に従って、表記の仕方を定めています:
- 甲本は沖縄語の訓み仮名がないため、乙本の表記を優先する。
- 底本の漢字表記が現代の一般的な漢字表記と食い違う場合(旧字体等)は、現代の用法に準じる。
- 底本の歴史的仮名遣いが琉歌一般と[『琉歌全集』ないし『琉歌大成』との用例と比較して]異なる場合は、全集に従う。
- 沖縄語の訓読・表現は琉歌一般の用例に従うが、一部(長母音の明示等)現代的表記を優先する。
※解釈が不確かな場合は、破線を付して推論を示しています。
以下は、47首それぞれの歌についてのページのリンクです。「いろは…」の順に辿ると、いろは歌に関連する沖縄語の語彙や文法事項を適宜把握しながら通覧することができます。琉歌一般の基本的事項については、こちらのページを参照してください。なお、各歌のタイトルには、沖縄語の頭音がいろは表記と異なる場合は、「ろ(ル)」のように括弧で本来の頭文字を示しています。
脚注
- 琉球・沖縄関係貴重資料デジタルアーカイブ:
・『琉球語伊呂波歌』阪巻・宝玲文庫(ハワイ大学所蔵)HW564, https://shimuchi.lib.u-ryukyu.ac.jp/collection/sakamaki/hw564
・『具志頭親方蔡温文若伊呂波琉歌』阪巻・宝玲文庫(ハワイ大学所蔵)HW558, https://shimuchi.lib.u-ryukyu.ac.jp/collection/sakamaki/hw558▲ - その他の覚書:
・東恩納寛惇『庶民教科書としての六諭衍義(1965年再版)』沖縄郷土文化研究会:付録(仲間智秀氏寄稿いろは歌)
・喜納町子『程順則琉球いろは歌』:1880年頃に出生した南米移民の一人から戦後に譲り受けたという貼紙を基にしており、同書の写真では「程順則いろは歌」と銘打たれている。▲ - 例えば、琉球新報社『沖縄大百科辞典』「いろは歌」の項目(比嘉実執筆)において、甲本について「程順則の『琉球語伊呂波歌』」と記載されています。▲